聖書 基本 知識
学習 2:神の霊
定義 | 神の霊感 | 聖霊の賜物 | その賜物の撤収 | 聖書の権威 | 間違った解釈(聖霊は果たして人格的存在であるか?, 擬人法の原則, カルビン主義, "聖霊の賜物を受けよ", "信じる者には、このような徴が伴う")| 問題と解答

間違った解釈8:"信じる者にはこのような徴がある"

この句節から、誰でも信ずる者にはその奇跡的賜物が与えられると論議されるようになります。しかし、"彼らは手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る"(マコ.16:18)と話したことも立証しなければなりません。これは、理論上信者が充分な信仰があったなら起こると言う約束ではないのでした。これらは信者たちよって決定的なされると言うた確かな約束でした。この偉大な奇跡が明らかに施行出来ないなら、この句節の約束は現在適用できないのです。あなたはパウロが噛まれることなしに毒蛇を取り扱ったのを記憶しているでしょう(使.28:3ー7)。その結果は彼の伝播が神から来たのを確認させました。

過去100年の間、その霊を所有していると主張したカリスマ的クリスチャンたちのすべてがそのように施行する力の実際的証拠を持っていないです。すべての信者がそのような偉大なる奇跡をなすことが出来ないなら、この約束は今日適用できないのです。これは既に私たちが霊に対する聖書の教えを調べて引き出し結論に任します。1世紀の初期キリスト教信者たちがこの奇跡的賜物を所有していましたが、しかし新約聖書が完成した後彼らはそれの所有が停止されました。

マルコ福音書16章の最後の句節に、信者たちに"伴う"その奇跡は福音に関して話した言葉を確認させる特別な目的のために遣われたものでした。"信じる者には、こようなしるしが伴う。... 彼らは出て行って、至る所で福音を述べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言葉に伴うしるしを持って、その確かなことをお示しになった"(マコ.16:16、20)。しかし、今私たちが新約聖書に持っている通り、一度話された言葉が完全に書かれて後には、信ずる者たちに伴った奇跡的しるしが必要なくなりました。


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