聖書 基本 知識 学習 10:キリストに預るバプテスマ バプテスマの重要性 | バプテスマの形式 | バプテスマの意義 | バプテスマと救い | 間違った解釈(再ーバプテスマ, バプテスマが要求する必須的知識, 十字架に付けられたその犯罪者, 模範的バプテスマ儀式)| 問題と解答 |
間違った解釈32:十字架につかれた犯罪者
1.キリストの死と復活に預かるバプテスマを受けよと言われた命令はキリストの復活の後に与えられました(マコ.16:15、16)。その犯罪者はキリストが彼に言われた時まだモーセの律法の下に住んでいました。 2.バプテスマはイエスの死と復活に連合するのです。イエスがその犯罪者に言われた時はまだそれらのことが起こっていない点を考えて見ると、バプテスマでキリストの死と復活に連合することは不可能でした。 3.バプテスマは私たちがキリストと共に死ぬことを象徴しているのです(ロマ.6:3ー5)。その犯罪者はキリストと共に死んだ唯一な人でした。 4.その犯罪者はバプテスト.ヨハネが施したバプテスマを受けた人たちの一人である可能性があります。彼による改宗者の多くは以前はいかがわしい人物でありました(マタ.21:32)。その犯罪者がバプテスマを受けていたと論ずることは出来ないのです。それでバプテスマを受けよとされた命令から逃れる弁明は出来ないのです。それとその句節は'霊魂'と'天'に対しても話してないのです。 5.その犯罪者は「あなたが御国においでになる時、私を思い出してください」とイエスに要請しました。従ってその犯罪者はイエスが教えた神の国に関する福音に無知でなかったのでした(マタ.4:23)。彼はその国が設立される時に裁きがあることと、イエスが死者から起き上りその裁きの審判者となることを知っていたので、その時自分を思い出して下さいとイエスに要請してのでした。その犯罪者は確かに福音に無知でなかったのでした。彼は復活と裁きの日キリストの口から宣言される救いがあることを認定していました。 6.イエスはその犯罪者が自分と一緒に"パラダイス"にいるであろうと彼に答えました。このギリシャ語の'パラダイス'はこの地上にある理想郷を話すのです。それは将来この地に設立される神の国で見られる回復されたエデンの園に関して使用されています(啓.2:7)。神の国が設立された時、この地に対した呪いが廃止されるので(啓.22:3)、この世はエデンの園のような状態にもどるでしょう(イザ.51:3; エゼ.36:35)。ギリシャ語の旧約聖書(70人訳本)にはその言葉'パラダイス'をこの地の理想郷として使用されています、伝.2:5; ネヘ.2:8; 雅.4:13; 創.13:10。Miltonの作り話、'失楽園'だけその'パラダイス'が天にあるように使用されいます。イエスがその犯罪者に約束したその'パラダイス'は彼に答えた通りキリストの国でした。私たちはその国がこの地に設立されことを学習5で示しました。だからその'パラダイス'はその国であるのです。 7.その43節の翻訳はあたかもキリストとその犯罪者がその当日'パラダイス'に行ったようになっています。しかしその国は当時この地に設立されていなかったのでした。だから彼らはその日その国に行かなかったのでした。イエスは墓に行きました(使.2:32)。彼が予言したように、彼が十字架で死んだ後、"三日三晩、地の中に"いました(マタ.12:40、16:21と比較)。彼が復活した後も、彼は、"私にさわってはいけない。私は、まだ父のみもとに上がっていない"(ヨハ.20:17)と話しました。それでイエスは彼が死んだその日天に行かなかったのでした。
8.上記の注解の要点をまとめるなら、その犯罪者が認識していた教理を次のように表を作ることになります。
それゆえに、誰でもキリスト教にわずかな関心を持っていても、その人は救われることが出来ると考えで、この十字架の犯罪者に事寄せるのは適切でないのです。彼が持っていたその基本的教理を持っていなければ救いを得ることが出来ないのです。これがない者は、その信仰と言う名の起き上がりを得ることが出来ないでしょう。キリストは、"あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、また私たちも救って見よ"と言ったこの態度の他の犯罪者には救いを与えることが出来ないのです。その人が言ったのは、'このイエスに何の望みがあるか。彼から得るものはなにもない'。それは、彼がキリストに対して関心を持っていたけれども、彼にはその第二の犯罪者の如く、世の末の日、本当に救われることが出来るその教理の認識が欠乏していたためでした。 |