聖書 基本 知識
学習 10:キリストに預るバプテスマ
バプテスマの重要性 | バプテスマの形式 | バプテスマの意義 | バプテスマと救い | 間違った解釈(再ーバプテスマ, バプテスマが要求する必須的知識, 十字架に付けられたその犯罪者, 模範的バプテスマ儀式)| 問題と解答

間違った解釈30:再ーバプテスマ

ある人たちは'幼児洗礼'を受けたとか、あるいは浸礼を受けたとか、一度浸礼を受けたなら、再びバプテスマを受けるのは差し控えなければならないと思っています。しかし、聖書にはバプテスマ'を受ける前に真の福音を正しく信じそれに悔い改めが必要であると規定しています(使.2:38; マコ.16:15、16)。バプテスマは水に浸す前にその順序に根拠して施行する唯一なバプテスマでなければならないのです。マタ.28:19、20はバプテスマを受けるには始めにキリストの教えを聞くことが連合されていると説明しています。福音を知らない者また悔い改めがない者がバプテスマを受けるのは、ただ屋内のプールに入って一度水泳をしたのと同じことです。これはそのバプテスマを受けた者が福音を意識していなかったから、本当にバプテスマを受けたと言うことが出来ないのです。また'違う福音'を信じてバプテスマを受けるのも、それと同じことです。

その福音で構成されるエケレーシャにはただ"一つの信仰"、すなわち、真の福音を構成している一連の教理があり、従って唯一のバプテスマがあるのです。その"一つの信仰"を信じた後に起こるバプテスマです。"体は一つ(真のエケレーシャ)、... あなたがたが召されたのは、一つの望みを目指して召されたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つである"(エペ.4:4ー6)。私たちの報償が天であろうと、あるいは地であろうと何でもかまわないと信じている者たちのように、信者に幾つの望みもあるのではないのです。ただ"一人の神"だけがおられるので、イエスは神でないのです。私たちがバプテスマを受ける時、神の国とか、神とイエスの本性とか、その基本教理を分かっていなければ、そのバプテスマは何の効果もないのです。

バプテスト.ヨハネは人たちに悔い改めよと叫びながら、イエスに関することを教えて、彼らにバプテスマを施行しました(マコ.1:4; ルカ.1:77)。しかし、これはバプテスマを受けるに充分な知識ではなかったのでした。使.19:1ー5には、ヨハネからバプテスマ受けた者たちがバプテスマを受ける時その教理を完全に把握していなかったから、再びバプテスマを受けた記録があります。ヨハネにバプテスマを受けていた者たちのように、私たちも真の悔い改めと新しい出発を決心しないでバプテスマを受けるのは止めなければ、ならないのです。彼らがバプテスマを受けたのは事実ですが、しかしそれはその"一つの信仰"の教理を把握した後に起こるべきその唯一のバプテスマではなかったので何の価値もなかったのでした。


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