聖書 基本 知識
学習 9:イエスの使役
イエスの勝利 | イエスの宝血 | イエス自身と人類のための祭物 | 人間の代表者イエス | イエスとモーセの律法 | 安息日 | 間違った解釈(十字架の刑, 12月25日は主の誕生日であるか)| 問題と解答

間違った解釈28:十字架の刑

イエス.キリストが十字架の刑で殺されたと一般キリスト教界が信じています。しかし、その'十字架'と翻訳されているギリシャ語'Stauros'は実際は杭あるいは柱を意味するのです。実は、本来十字架は異教の象徴でした。両手を上げるのが激しい祈りを神に上げる時つくる神の約束の象徴をつくる形である事を考えたら(哀.2:19; テモ前.2:8; 代下.6:12、13; 詩.28:2)、キリストは十字架につけられたのでなく、一つの柱に彼の両手が頭の上に上げられて釘つけられたのであり(エゼ.20:5,6,15; 36:7; 47:14)、キリストはその柱につけられることになっていました(ヘブ.5:7)。彼は、イスラエルが荒れ野で青銅の蛇を柱の末につけたように、彼は死ぬ時自分も公に柱につけられると話しました。そのように彼は'柱'に付けられたのです(ヨハ.3:14)。

ローマ.カトリック教会はその十字架に多くの迷信適意義を付け加えています。それらはなにも聖書の根拠がないのです。十字架の装飾物は神が自分と一緒にいると言う表示のお守りの符号になっています。人たちは十字架を首にぶら下げ、あるいは規則的に十字を描くことによって神が彼らと一緒にいると信じます。これは一つの象徴に過ぎないのです。本当に十字架の力は、十字架の形を思い出すのでなく、私たちがキリストを信じバプテスマを受けて彼の死に連合することにあるのです。勿論、その後者より前者の方をするのがたやすいのです。