聖書 基本 知識
学習 7:イエスの起源
イエスに関する旧約の予言 | イエスの出生 | 神の計画にあるキリスト | "初めに言葉があった" | 間違った解釈(歴史的イエス, "天から来た者", イエスが地を創造した, アブラハムの前にいた者, メルギセデック)| 問題と解答

間違った解釈:25アブラハムの前にいた者

この言葉は度々イエスがアブラハムの以前に存在していたと適用を誤っています。しかし、詳しく調べて見るとその誤りを発見することが出来ます。

1.ヨハ.8:58でイエスが「アブラハムの生まれる前から私は、いるのである」と言ったのは、「私はアブラハムが生きていた時以前にこの世に生きていた'と話したのでないのです。彼はアブラハムの子孫となることを約束されていました。もしイエスがアブラハムの時以前に形体的に存在していたとすれば、私たちはアブラハムにしてくださった神の約束はナンセンスになることを良く分かるのです。

2.ヨハ.8:58の文脈はアブラハムに関するキリストとユダヤ人たちとの談話です。アブラハムはかってこの世に生きた偉大なる人でした。イエスは"今ここに立っている私はアブラハムよりもっと重要な人である"と話していました。彼らがそこに立っている時、イエスはアブラハムよりもっと重要であると話しています。ヨハ.8:58に"アブラハムの生まれる前から私はいるのである"言うのは、キリストはこの世の始から神の計画にいたと言うことに理解出来るのです。イエスがアブラハムの"前に"いたと言うことは彼がアブラハムよりもっと重要であると言う意味です。

3.これの証拠はヨハ.8:55,56で見つかります。"あなたがたはその神を知っていないが、私は知っている。あなたの父アブラハムは、私のこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ"。アブラハムが喜んで笑った時はただ彼が子孫を持つようになると彼に約束された時でした。彼はその約束が究極てきにはイエスに関することである事を悟りました(創.17:17)。アブラハムはキリストに関して彼に約束された事を通して彼の前にあるイエスを"見ること"が出来ました。彼は将来に起こるイエスの犠牲に対して隠密に解説しました。"それでアブラハムはその所の名をヤウェ.イレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「ヤウェが山に備えあり」と言う"(創.22:14)。この意味はイエスがアブラハムに関して彼を見たと言うことでした。それはこの文脈でイエスが"アブラハムの前に、私がいた"と話すことが出来る約束に対して話すことです。彼は私たちが学習3.1で説明したように、アブラハムに対する神の約束が世の始めから神に知られていたイエスに対した計画が現れたことを理解したのです。"アブラハムの以前に"あったその計画がアブラハムにした約束に現れ、1世紀の"その言葉が肉になった"、イエスの周囲に立っているユダヤ人が見るように成就されたのでした。

4.イエスが"I am"と話した時、それは神の名である"YAHWEH(ヤウェ)-I am that I am"(出.3:14)を言及するのであり、彼が神であると度々主張する者があります。私たちは間違った解釈3で、この言葉は人格的神自身を意味するのでなく、イエスと普通の正常な人たちは実に伴うことが出来る神の名であると説明しました。しかし、これはイエスが単純に動詞"to be"を現在時制で使用したのでしょう。これとちょうど同じギリシャ語句がヨハ.9:9に起こっています。それは治癒を受けた盲人の隣人たちが"この人は、坐って乞食をしていた者でないか。ある人々はその人だと言い、他の人々は、いや、ただあの人に似ているいるだけだ"とお互い尋ね合せていました。あなたは"彼である、He is"と言うたことに注目して下さい。これは本来のギリシャ語にはないのですが、翻訳者が書き添えてたのです。その盲人は"私である、I am"と言いました。それと同じようにイエスも"私である、I am"と話したのです(ヨハ.8:58)。もしイエスが"私である"と話した事実が彼がその神である事を立証するなら、その盲人も"私はである"と言ったので、彼も神になるのです。しかし、それは、Yahwehの神の名、"I will be who I will be"(出.3:14)とは何の関係もないのです。


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